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「Design That Changes The WORLD」
デザインはモノに新しい命を吹き込む魔法の力だ。
デザインの力は世界を変える。
もっと幸せで 美しい未来へと。
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ZERO POD物語③
友人からゼロポッドはゴルフバックぐらいの大きさじゃなきゃダメと言われたけど、あんな大きなゼロポッドがそんなに小さく出来るわけないと思った。
ところが、絶対無理だと思っていた折畳み方法が、数日後の朝、目覚めたら奇跡のように降ってきた。
トラスゼロポッドの時は、床の板を梁で受けるという建築的な作り方だった。だが、この方法だとどうしても床パネルが大きくてかさばる。
それにそのままだと床が固いからマットレス状のものを敷く必要があり、それがまた重くて嵩張り、コンパクトに出来なかった。
振ってきたアイデアというのは、ハードな床をやめて、トランポリンみたいに布で床を作るアイデア。
これだと傘みたいに折りたためて、軽くてコンパクトになるんじゃないかと閃いたのだ。
早速、手元にあった割りばしと新聞紙で模型を作る。
行けそうだ。
その日のうちにホームセンターに走りパイプを買い集め、3dプリンターでジョイントパーツを作り、朝までかかって試作するが床の布が人の重さを支えられず破れるし、布を張るフレームもバランス悪くて安定しない。
それからひと月ほど、フレームの材質や形状を変えたりしながら試作を繰り返し、どうにか安定したフレームが完成したが、床の膜だけは、破れたり、強度があっても重すぎたりしてなかなかうまくいかない。
工房にこもって一人で試行錯誤してたら、訪ねてきた友人が大手繊維メーカーの社員T氏を紹介してくれた。
早速電話で相談すると、T氏は下請けの縫製工場の社長と専務を連れて東京からわざわざ製作中のゼロポッドを見に逗子まで来てくれた。
打合せが終わると、顔合わせに一杯やりましょうとT氏が言うので工房のあるビル一階の海鮮居酒屋満天で会食。
地元でも定評のある満天の海鮮は安定の旨さでT氏も日本酒や焼酎も進み心から楽しんでいるようだった。
楽しい時間はあっという間。僕が「今日はありがとうございました」と伝票を取るとT氏がそれを手で制し、ここは彼が持ちますと下請けの社長を指し示す。
社長はちょっと驚いた顔をしていたが、まぁT氏がそういうならという感じで支払った。ゼロポッドにのめりこみすぎてお金がなかった僕はちょっとホッとする。今日はいい人たちに出会えてよかった。
(つづく)
ZEROPOD物語②
数週間はゼロポッドの模型も見たくなかったが、しばらくすると新しいアイデアが降ってきて再びゼロポッドに取り掛かった。
次はとにかく試作までは自分で完成できるようにしようとフライス盤やらボール盤、プレス機まで購入してアルミパイプによる折畳みトラス構造に挑戦した。
最初の試作から7年ぐらいかかったが、何とか製品らしきものが完成。
2014年のグッドデザイン賞やMITビジネスコンテストの優秀賞まで受賞し、順風満帆の船出だった。
・・・筈だったのに、今度もまた製品化してくれるメーカーが見つからず7年かけて完成させたトラスモデルも挫折。
トラスモデルは重量45キロもあり、分解してもワゴン車一杯の大荷物だった。だから、製品化を相談したメーカーからは、「こんな重い大荷物、だれが使うの?」なんて言われた。
そんなある日、友人から「ゴルフバック」ぐらいにならなきゃ誰も買わないよ!」といわれた。僕はゴルフはやらないけど、なぜかこの言葉にはピン!と来るものがあった。
(つづく)
ZEROPOD物語①
何度かFBでも書いたが、自分でも忘れないうちにゼロポッドのヒストリーを書き留めておこうと思う。
ゼロポッドを作ろうを思いたったのが45歳の時。
その時は設計士らしく、設計と試作したらどこかのメーカーで製品化してもらおうと考えていた。
最初のゼロポッドは美しい木製フレームの木造ゼロポッドだった。
僕が美しい模型を作っているとき、たまたま事務所を訪れた知人Kが、模型に惚れ込み、自分も出資したいと言い出した。
そこでK氏30%、Kが連れてきたT税理士が4%、私が66%出資で別会社を作りスタートした。
ところが、事業がスタートして半年ほどたったころkによる会社乗っ取り事件が発生した。
Kの目論見通りに行けば、ゼロポッド事業はもちろん、設計事務所も事実上、Kの言いなりになるようなスキームで嵌めらていた。
長くなるので詳細は省くが、色々と大変なやりとりがあった。
しかし、僕の友人らの助けもあり、最終的にkとT税理士の持ち株を全て僕が買い取る形で事件は収拾。
そんなことをしているうちに、資金が底をつき、フレームまで完成したところで、計画は頓挫。(つづく)